2007/9/19

【棺桶アルバム①】 weezer / weezer

> 音楽雑談 — サイトウD @ 11:28:20

更新の継続には持ってこいのシリーズ。「無人島レコード」 だとパクリになっちゃうので、死んだら棺桶に入れてもらいたいアルバム、「棺桶アルバム」 として(笑)、僕が最高に好きなアルバムを挙げていきます。
ま、僕は所詮、一介のディレクターなので、可能な限り個人的になり過ぎないように。

・・・ とか言いながらいきなり、個人的な思い入れでしか語れないアルバムです。
とんでもない長文になりそうな予感。許してください。よほど暇な人だけ読んで下さい(笑)
このアルバムと出会ったのは95年、中学卒業~高校入学の春。
MTVで 「Buddy Holly」 のPVを観たのがキッカケでした。

ウィーザー
★ weezer / weezer (オリジナル・リリース 1994年5月 : 国内盤リリース 1995年3月)

メタルしか聴いていなかった90年代初頭の中学時代。米国ではグランジが拡大していました。
メタル側からすれば、グランジはメタルを衰退させた目の上のたんこぶで、メタル雑誌やギター雑誌のほとんどが、NIRVANA をはじめその手のバンドに対して批判的なスタンスを取っていました【注1】
僕もそれに洗脳され、グランジはダメな音楽という固定観念を持っていたのです。

そんな折。地元ではケーブルTVの普及が早く、僕の家にも繋がってからは、
MTVばかり観ていました【注2】。しかしメタル番組は 「ヘッドバンガーズ・ボール」 のみで、メタルのPVが流れるのは極めて稀。それを待ちながら、当時は一切興味も無かったヒット・チャート系やR&B、HipHopのPVを観続けていました。ちなみにその経験が、現在の職業でかなり役立っています。

当然、NIRVANA 等オルタナティヴも流れていました。確かにメタルとは違う音楽ですが、雑誌が言うほど悪くはないな、と聴いていました。何しろ、PVの映像がメタルと違って凄く面白かったし。ただし先入観とは恐ろしく、ダメな音楽と思い込んでいる訳ですから、CDを聴いてみようとは微塵も思わなかったのです。
そして1994年、 NIRVANA のカート・コバーンが拳銃自殺。新聞のお悔やみ欄でその訃報を知りました。知っているミュージシャンが死ぬのは初めての事だったので、結構なショックでした。残念ながらギリギリ、カート生存中にNIRVANAのアルバムを聴く事はできなかった訳です。

その後、中学卒業間近の95年。MTVで、何とも愉快なPVが頻繁に流れていました。
それが、weezer の 「Buddy Holly」 でした (⇒ official)。【注3】
コミカルで珍妙な楽曲も気に入り、「一枚くらいメタル以外のCDを買っても良いな」 と思い、アルバムの購入を決めたのです。中学最後の春休み頃だったはず。田舎のCD屋には置いてなかった為、お店で注文し、手元に届いたのは何故か一ヶ月後。待ちに待ちました。注文したのが国内盤の発売前だったのか、店が発注し忘れていたのかは分かりません。

「メタル耳」 しか持っていなかった当時の僕が最初に聴いた印象は、ずいぶんコミカルで可愛らしいアルバムだな、というものでした。ただそのキャッチーなメロディーと個性的なファズ・ギターが、
「試しに一枚」 と買ったにしては本っ当に気に入ってしまい、結局は毎日聴くようになり、その結果 ・・・・・・

このアルバムたった一枚で、ヘヴィ・メタルの呪縛から、アッサリと解放されてしまったのです。

その直後から、大きな波が来ていた GREEN DAY の 『Dookie』 や OFFSPRING の 『Smash』 といったメロコアを聴き、NIRVANA の 『Nevermind』 も聴いてオルタナティヴに走り、BECKに衝撃を受け、UKで勃興したブリット・ポップをリアル・タイムで経験し、oasis 『Morning Glory』 の発売を心待ちにし ・・・ と、ウィーザーを機に嗜好がグッと広がったのでした (そう、ヒップホップを聴いたのも、ウィーザーのリヴァースが気に入っていた、クール・キースによる 「Dr. OCTAGON」 が最初でした)。

♪      ♪      ♪      ♪      ♪

僕の人生を変えたアルバム、『weezer』。
このアルバムがあったからこそ、僕は今ここでブログを書いています。呪ってやろうかな(笑)
体育が全然できなくて全くモテなかった僕は、このアルバムを聴いてどれほど泣いたでしょう。
1万回・・・というのは大げさですけど、1000回以上は、嘘じゃなく余裕で聴いているはず。
今でもよく聴きます。相変わらず泣けます。
洋服屋さんでこのアルバムがかかっていた時、何も買わずに丸々一枚聴いていた事もあります。

高校時代はバンドを組んで、コピーもしました。
モテませんでしたけど(笑) あ、男からの支持は多くなりましたよ (良い意味で)。
バンド名は 「fuzz」 で、ウィーザーのリヴァースが過去に組んでいたバンド名から取りました。

歌詞について、サウンドについて、シーンへの影響について、リヴァース・クオモについて ・・・・・・
書きたいことは色々ありますが、書けません。思い入れが強すぎて、卒論級の長文になりそう(笑)
ですから今回は、このアルバムに出会った経緯だけで止めておこうと思います。疲れたし。
今日は帰ったら、『デトロイト・メタル・シティ』 でも読みます。今では再びメタルも大好きDEATH!

~ 脚注 ~
【注1】 ・・・ ニルヴァーナ 『ネヴァーマインド』 の解説を、某メタル雑誌 「B」 の人が書いているのは有名な話。まさかその後、批判側に回ろうとは。要するにリリース当時は、ニルヴァーナの音楽性をレコード会社含め誰も把握出来ていなかったのと、メタルの人間でも先入観なく聴いたら気に入るんだぞ、という、ある意味での教訓。

【注2】 ・・・ 当時の MTV JAPAN は、ほぼPVの垂れ流しで、そのPVも編集なしのノーカット放送だったため、番組が時間ピッタリに始まり終わることは無かった。場合によっては、番組開始時間が5分以上ずれる事も。しかも、邦楽は一切なし。でもそれらが逆に良かった。VJ 陣も、鮎貝健や globe加入前のマーク・パンサー、モデルの 「はな」 など、今見ると豪華。『ビーバス・アンド・バットヘッド』 も最高でしたねー。

【注3】 ・・・ 後の1997年。某日本人アーティストA氏が、あまりにも 「Buddy Holly」 にクリソツなPVを発表。世の中には 「偶然」 というミラクルが実際にある事を証明した。それを観たweezer ファンのある者はその実直な愛情に微笑み、ある者は失笑し、またある者は激怒した。その曲自体が weezer の人気B面曲 「Susanne」 にクリソツな事に対しても、また同様であった。